一人称小説において、悲鳴を上げるシーンって書きにくいよなあ。ふだん通りだったら、「私は叫び声をあげた」で済ませても良いだろうけど。しかし、悲鳴ってあげようと思ってあげるものではないから、直前に主観的な描写が重なれば重なるほど、「私は叫び声をあげた」の一文が、直前の主観的恐怖の臨場感を断ち切るような、浮いた演出に見えてしまうことがある。かといって、悲鳴が漏れ出る、というのもかなり三人称的というか、「叫ぶ」という行為をどこか客観視しないと実現しえない描写だと思う。(気づいたら、叫び声をあげていた、叫び声をあげている自分に気づいた、だとか。)