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夜は明け、電話は鳴り続ける(ワルプルギスの廻天 感想)
まどマギ廻天2回目を見に行った。
2回目を見て気付いたことを書いてたらけっこうな文字数になってしまったので、せっかくだから1回目の感想と一緒にまとめることにした。
半ば自分の記録用として作成している記事なので、書き散らしめいていて文章があまり整っていないことはご容赦いただければ幸いです。
##### ○初回の感想
初回はずっとほむらちゃんの行方でハラハラしてた。ほむらちゃんのこと責めないで……いじめないで……って必死で祈ってた。ほむらちゃんの選択を我儘だと言わないで……と……。
でも、叛逆の終わりで私が勝手に悲観してたほど、ほむらちゃんは自罰的になっていなくて少しほっとした。まどかを守るために淡々とやるべきことをしている……たくましい……。
ほむらちゃんが呼んでもまどかは歩き続けて、すべてを諦めて受け入れそうになったときのさやかちゃんの「あんただけは、円環の理をまどかって呼ぶな!」でドバーーーーーーって泣いてしまった。
さやかちゃんは、魔法少女になる前のまどかの「親友」で、同い年の普通の女の子っていう対等な立場で一緒に悩んでた。だからほむらちゃんがまどかという個を守りたいという願いにとても近しい存在で……。
さやかちゃんも自分の姿や顔を見失って何がなんだかわからない中で、それでもほむらちゃんの選択を肯定してくれたのがとてもうれしかった。
さやかちゃんは一度円環の理に導かれ、まどかの願いに救われた側でもあるから、ほむらちゃんみたいにまどかへ手を伸ばせない。言い切れない。
あと、円環の理の使者としての役割を全うするべき、とか、ゾンビのような体になった自分に恋はできない、とか、高潔というか潔癖というか、さやかちゃんって「こうあるべき」っていう考えがとても強い人だという気がしている。
だから「あたしにはできないけど」だったのかも。そんないろんな思いの狭間に立って、それでも「あんただけは」って言ってくれて……ありがとう……。
ほむらちゃんが「あきらめない」って自分を肯定してくれてよかった。
悪魔だからこそできることがあるって、自分の人生を、存在を、認めてくれたのが本当に嬉しかった……。
最終的に、すべてを肯定するつくりだったと思った。まどかの慈愛も、ほむらのこれまでの行動も、すべてを救いたいと願うことも、救われたいと縋ることも、絶望も含めて私の人生だと思うことも。
円環の理は単なるシステムではなく、鹿目まどかという一人の人間の願いであり、すべての魔法少女(のみならず生きるものすべて)にはそれぞれ個々の人生があり、願い、希望と絶望、愛がさまざまに絡みついて形を成している。
すべての思いが肯定され、理想通りにいかない世界は朝を迎え、電話は鳴り続ける。
物語を見ていたこちらに、なぎさちゃんの言葉が投げかけられて残っている。
「誰のために、何がしたいのです?」
以下は2回目以降に改めて語りたいと思った要素たち
##### ○トマト
今作はトマトが何回も出てきてることに改めて気付く。叛逆のときはほむらちゃんにぶつけられてて、本編ではまどかパパが育ててたり、タッくんがフォークで刺すの失敗してママが拾ってたりしてた。
セルマちゃんには“憐れみと蔑み”の意で人々からぶつけられ、丁香ちゃんには握りつぶされ、まどかを見るマルグリートのそばにぽつんと置かれている。
あとは、ほむらちゃんが最初にトカゲさん電話に応対してたときに「上映中には物を投げないで」という注意書きみたいなものが映されてたけど、その文の末尾にトマトのマークがあった。たぶん忘れてるだけで他にもあると思う。
トマトが何を意味しているのかはいろいろ考えがいがあると思うけど、舞台の上でなぎさちゃんがセルマちゃんにトマトをぶつけず地面に落として去った場面のことも考えると、幸せの形や感情の結晶という意味合いもあるのかもしれない。食べたりぶつけたり、人に渡したり持て余したり。
##### ○幸福の王子
初めのトカゲさん電話の夜が明けたとき、幸福な王子のようなモチーフが出てきてたことを2回目に見て思い出した。初回も「幸福な王子だ!」って思ったけどその後いろいろなことが起きすぎて忘れてた。
幸福な王子の原典では、人のために自らの体の金箔や宝石を分け与えて最後にはみずぼらしい像になるのだけど、生き延びるために尾を切断するトカゲとの類似性が少しあるかもしれない。対照されるものでもあるかも。
今作中の像は継ぎ接ぎの体をくっつけられて朝とともに元に戻る、というように見えたけど、夜の間だけバラバラになってることを人々は知らない、ということでもあるのかな。
##### ○理想と違う世界
今作にマルグリートさん、丁香ちゃんやセルマちゃんが出てきたのは、まどかの選択にどういった意味があったのか深掘りするためにめちゃくちゃ必要だったなと改めて思った。「すべての魔法少女を救いたい」と願うことが何をもたらしたのか、そしてそれぞれの魔法少女には個々の願いと人生、希望と絶望があったことを知らないと、世界はどう在るべきか、まどかやほむらはどこに向かうのかということも考えられないよな……と思わされた。
ワルプルギスの廻天は「名前を呼んで」と繰り返し訴えていて、名前を呼ぶこと、個があること、一人の人間としての人生や願い、希望や絶望を誰にも弄ぶことはできないというメッセージを感じた。
まどかが「誰かの理想とは違う世界になっても許してくれる?」と言っていたのは、マルグリート(ワス)さんが「崩壊した円環の理は、鹿目まどかの人生を待ってはくれないでしょう」と言っていたことにヒントがあるのかなと思った。たぶんまどかの個が現世に残されたことで、世界はまた何か変質を余儀なくされたのだと思う。
でもまどかはほむらちゃんを抱きかかえたまま円環の理を自分の意志で見送ったように見えたし、「わたしはここにいるよ」とほむらちゃんに言った。EDの足跡は、まどかの足跡がほむらのほうに少しだけ寄ったあと、また離れていく。本編では「ちょっとの間お別れだね」だったけど、今は「わたしはここにいるよ」と、離れていても一緒にいるという意志を感じる。
このあたりは自分で考えて思いを馳せるしかないのだと思う。ただ、EDでずっと歩き続けていく黒い足跡を見てずっと泣いていた。ひとつはっきりしていることは、ほむらちゃんはずっと歩みを止めないということ……。
##### ○搾取構造
キュゥべぇと魔法少女の関係って、つまるところ搾取の構造のあらわれであると思うので、今作で出てきたセルマちゃんがまるきり搾取に適応する側の思考と行動パターンだったことに感銘を受けた。搾取構造を受け入れ歓迎する魔法少女もそりゃいるよねってちゃんと描いてくれたこと、意義深すぎる……。
理不尽な搾取のルールを書き換える話をずっとまどかとほむらはやってきたと思っている。今作はずっと電話が至るところで鳴り続けていたけど、誰かに届くのを待っている願いや訴えの象徴としての黒電話なのかも。誰かに取られて初めて、誰からの電話なのかが分かる。
ED後に鳴っていた電話を誰かが取るシーンは、「誰かがどこかで戦い続けている」という本編の最後に出てきた英文のようなことを示唆してるのかもと自分は受け取った。世界は移り変わり、搾取は止むことなく、電話は鳴り続け、誰かがその受話器を取ろうとしている。
電話は誰かがかけないと鳴らないし、誰かが受け取らないと鳴り続ける。「わたしはここにいるよ」の象徴でもあるように感じた。
そう思うと、私も「誰のために、何がしたいのです?」をやらないとな……と勇気づけられるような、「As long as you remember her, you're not alone.」のような気持ちになるのだ。
ワルプルギスの廻天、まどマギの集大成でもある気がするし、完結編と受け取るほうが私はしっくり来るなと思った。続きがあるとしても、それはそれで受け入れるかもしれないけれど。
たった2回見ただけではぜんぜん受け止め切れてないと感じるし、BDが出たら繰り返し見たいなと思っている。あらゆる各所で一時停止とかしたすぎる。