「メンヘラ」とか「ヤンデレ」とかそういった属性をわかりやすくポップに扱うことってやはり自分の中には抵抗があって、何故ならそれはどこまでいっても恵まれている自分が消費してはならないものだと思っているから。
※例えばニディガは消費ではあるんだけれど、にゃるらさんの当事者性によって作品として保たれているように思う。外からではなく内から描くからこその責任が作品を守っている。
だからこそ、自分はそういった属性そのものをポップに描きたいわけではなく、「その人の隣にいる自分たちはどうすればいいのか?」が常にテーマにある。その味わいはもしかしたら受け手にとっては些細かもしれないけれど、自分の中で大きく異なる。