田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 14/08/2026【千葉豪雨】大網白里が広域に冠水 千葉の中でも比較的東京に近い場所の帰宅困難者の報道は多く出ていますが、南部の情報が少なく、南下していったら、大網白里市金谷郷では広域が冠水したままで、田畑や店舗の敷地を水が覆っていました。 市役所の被害状況をまとめたホワイトボードは、土砂崩れや停電、床上浸水、道路崩壊の情報で埋め尽くされていました。 複数の保育園も床上浸水したとのこと。 県内の別の市に住む従妹も、子どもが通う学童保育が浸水して、勤め先(立ち往生した車両の対応に追われる役所)に出勤できないそうです。 災害時の子どもの居場所の専門支援団体は軒並み熊本に行っている時期だけに、この先が心配です。 02012
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 14/08/2026大雨被害から一夜明け、帰宅困難者の取材をしようと、一時受け入れ所が設けられた幕張メッセに向かったら、駅からすごい人波でした。 サマソニが予定通り開催されているようです。 会場の一角(手前)にあるここでは、毛布が高く積まれていました。 駅前のエレベーターには水がたまり、「ポンプ車が(他の現場に行って)出払ってて…」と、バケツで1杯ずつ地下からくみだしている作業員の方がいて、頭が下がります。 こんな時だからこそ文化も生活も、無理のない範囲で継続してほしい。 千葉は初任地で、何度も何度も車で通った場所に泥や落ち葉が残された浸水の跡があって、言葉が出ない。 119650
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 03/08/2026【熊本地震の取材でのひとこま】 氷川町役場前。 「どうぞ、食べて。暑いから」と住民や支援者、自衛隊員に声をかけては棒アイスを渡す男性が。 目を開けるのも痛いぐらい暑い日。 高齢者も子どもも恐縮しながら受け取り、食べながら帰って行きました。 何かできることはないかと名古屋から来て3日目だそうです。 横には、クーラーボックスいっぱいに詰まった棒アイス。 車中避難の女性が熱中症で搬送され、亡くなったというニュースを見て、危機感を強めたとのこと。 名前を尋ねると、「自分は全然。もっと別の人を取材してあげて!」と固辞され、しびれました。 www.asahi.com/articles/ASV... 0154
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 02/08/2026昨日の「火の国会議」(各支援団体・社協・行政が対面・オンライン併用で一堂に会して情報や課題を共有するの会議)で挙がっていたのが、避難所で支援物資の受け付けや仕分けをする人手が足りないことです。 (一昨日、役場で取材した範囲でも、足りていませんでした。集計・管理も紙ベースで、在庫管理の専門人材の必要性を感じました。) 保健師がこの業務をしていて、本来の仕事ができていないケースも。 受け入れが始まった災害ボランティアでも派遣を要請するそうです。 11510
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 02/08/2026きょう午後は、益城町内に支援団体が設けた子どもの居場所(預かり場所)を取材しました。 0歳児から中高生まで、汗びっしょりになって発散していました。 10年前の地震の時に子どもで同じ支援を受け、今回は支援する側として来た大人も3人。 保護者からは「おかげで家の片付けができた」との声も。 片付け、というと軽く聞こえますが、建物は無事に見えても一歩入れば家具がたくさん倒れて床にびっしりモノが散乱しているという家は珍しくありません。片付けても片付けても先が見えない状況で疲弊しています 行政職員などのエッセンシャルワーカーも、小さい子どもがいるから出勤できないというケースも。 追って記事にします 0102
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 21/07/2026【体育の着替え問題】今月初めて報じてから、たくさんの反響をいただきました。ありがとうございます。いただいた投稿の一部を、お伝えしています。紙面ではきょう朝刊です。 現場の環境が改善されるまで、まだまだ報じていきます。 記事タイトル:体育「男女一緒に着替え」報道へ反響 教員は子どもの声にはっとした www.asahi.com/articles/ASV... 041
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 08/07/2026【いまだに「男女一緒に着替え」の小学校多数?】 まずは現状を見える化。 記事中では、こんな感じで全国のすべての県庁所在地+政令指定都市+東京23区の結果がプルダウンでみれるようにしています。 多くの担当者が着替えスペースを分ける必要性は認めていたので、課題解決に向かうよう、続けて報じていきます。 #体育の着替え問題 www.asahi.com/articles/ASV... 110
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 21/03/2026神保町に戻ってきた、三省堂の本店に行ってきました。 コロナ禍の苦境もあっていったん閉店したのが4年前。 そのときの記事と写真がこちら↓です。 www.asahi.com/articles/ASQ... 記事タイトル:「神保町ありがとう」三省堂が一時閉店 古書店街の「粋」は今も 今日の写真はこちら。 高層化し、本屋はカフェや文具売り場混みで3階部分まで。かつての「ビル丸ごと本屋」ではなくなっています。 本棚を見上げるのではなく見下ろすつくりは、不思議な感じ。 自己啓・ビジネス・学参・漫画が多いのは商売上しょうがない一方、専門書の棚には、限られたスペースからぎりぎりの矜持を受け取りました 11811
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 16/03/2026この記事で「葛藤」と「割り切れなさ」をお伝えするためには、ベースにある、殉職した11人の分団員がどんな最期を迎えたのかという「事実」にぎりぎりまで迫る必要がありました。 津波にのまれる姿を最後の最後まで見ていた人の多くはご自身も帰らぬ人になっています。生き残ったからこそ語りたくない人も多い。 まちも一変し、当時と同じ場所に住んでいる人もほぼいませんでした。 それでも生き残った団員の話を手かがりに、住民を訪ねて複数の証言で裏づけ、住宅地図に書き込んでいきました。 書き込みだらけの原本は個人情報が大量でお見せできませんが、最終的にまとめたのが左側。これを右側の記事掲載の地図にしてもらいました。 121
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 15/03/2026東京・中野でやっている「語りにくさを語る――大川小をめぐる15年の対話」という展示を取材してきました。 展示もオープニングトークも夢中でノートをとっているうちに30ページ以上になりましたが、これを、どんなに長くても1500字ぐらいの新聞記事にするのに悶絶。 近々、記事にします。 r-dimension.xsrv.jp/okawa/ 250
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 11/03/2026紙面掲載は、3/10の社会面です。 見出しは大きく、 「答えはねぇよ、出せねぇよ」 この割り切れなさ。一番伝えたかった言葉です。 1101
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 08/03/2026東日本大震災の命日前の日曜日。きょう追悼式をした地域もあります。 そこに取材に来ています。 大学生の時、阪神・淡路大震災で卒論を書き、震災から14年の追悼式で、黙禱の瞬間に鳴り響く報道機関のカメラのシャッター音や、亡き人の銘板の前で静かに過ごす空間をカメラが取り囲んでとても静かには過ごせていない様子を見て、当事者でないなのにいたたまれなくなった記憶があります。 院生の時はインド洋地震・津波で修論を書き、津波から5年の時に海辺での追悼式に出たときは、外国人が珍しいから地元紙のカメラマンに献花の様子を逆に撮られました。(翌日、地元の人が「載ってるよ」と笑って新聞を見せてくれました。)(つづく) 141
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 05/03/2026今がもし2011年3月11日で、今日の午後にあの震災が起こったら、同僚たちとどんな朝刊を作るか。ふと考えました。 当日の記事が先日、アーカイブ配信されました。 読んでいて、当時の編集フロアの大混乱や現場と連絡がとれない焦燥感、情報が錯綜する中でとにかくその時点でわかっていることを詰め込もうとした様子が伝わってきました。 朝刊1面の横見出しは大きく一言、「東日本大震災」。 災害の名前だけを主見出しにとるのは非常に珍しいです。 しかも、当時気象庁やメディアが使ってていた「東北地方太平洋沖地震」や「東北関東大震災」とは違う名称。 編集者がこう名づけることで、出来事の大きさを再定義しました。 163
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 26/02/2026きょう朝刊の論壇時評で、鈴木彩加先生に「論壇委員が選ぶ今月の3点」にピックアップしていただきました。 著書を拝読してきただけに、とても嬉しい。 010
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 25/02/2026新聞記者七つ道具のひとつ?のゼンリン住宅地図。 被災地の取材でも必携品で、特に被災前のゼンリンは貴重品です。 (地域で話を聞いて回っていると、住民の方も、被災してまちが変わる前の地図を、なつかしいなあと食い入るように見てくださいます。) 今日は家を出たときから見事なざーざー降り。 使い古したA3サイズのゼンリンはぼろぼろで、これ以上傷ませたくなく、持ち歩くのに困っていました。 国会図書館でコピーを待つ間、売店をぼんやり眺めていたら、ちょうどこのサイズのビニールバッグが。 売店の職員さんも「雨降ってきたからねえ」と言ってすすめてくれた。 ずっと使います。 010
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 18/02/2026三陸の被災集落と南海トラフの被害が懸念される集落が、心が痛むほど地形や産業が似ていて、15年前と重ねて見てしまうからこそ。 だからこそ、「防災」という大声でかき消される何か、によくよく自覚的でなければ。 と、長い運転時間の中でつらつら考えていた今月の二度の高知出張でした。 原稿出さねば… 040
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 12/02/2026今月2回目の出張中です。 といっても三陸の「被災地」ではなく、南海トラフ地震の「未災地」(高知の室戸→下知→黒潮→宿毛)で、事前復興や消防団の取材をしています。 「何十メートルの津波が数分で来る」ということを何度も何度も言われ続けることは、何を生むんだろう。年金生活者が大半の町で。 津波が来たらすぐ逃げてください、自分で逃げれない人は助け合う方法を考えましょう、被災したらそこは住めなくなりますから高台にいきましょう、まちを集約しましょう… そう言われ続けることは、目の前の日常にどんな影響を与えるんだろう。 住民の方の話を聞いて歩き、巨大な津波避難タワーにのぼりながら、考え込みました。 1127
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 04/02/2026『世界』への寄稿は、「「保育の質」はなぜ失われてきたか」(2023年3月号)に続いて2回目です。 堀編集長とのやりとりでは、いつも目を見開かされる。深謝。 エッセンスはこちらの記事2本に。寄稿ではさらに深く長く、掘り下げました。 ↓ 【首都直下地震で「子どものお迎え」は現実的か 帰宅困難者840万人】 www.asahi.com/articles/AST... 【園児9人を津波で失った園長、悔やみ続けた判断 保育事故のたびに…】 www.asahi.com/articles/ASQ... 064
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 04/02/2026【寄稿しました】あさって6日(金)発売の、岩波の『世界』3月号。 大災害のときの子どもの「お迎え」問題について、一連の新聞記事で書ききれなかったことを書かせてもらいました。 東日本大震災での忘れられない取材と、首都直下地震の被害想定で見過ごせなかった疑問と。 タイトルは「子どもの命を預かる ――大震災時のお迎え問題」です。 一人でも多くの大人と子どもに知ってほしい事実を詰め込みました。 お読みいただけたらうれしいです。 2117
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 01/02/2026今月は、お正月から一週間、岩手・大槌の被災地にいました。 その後は、原稿、原稿、原稿、原稿……また原稿の日々。 そのひとつが、連載「あなたの名前は」です。 東日本大震災で犠牲になった2万2千人超には、一人一人に名前があります。 被災地であちこちにできた追悼碑にはその氏名が刻まれましたが、一部、刻まれなかった氏名もありました。 遺族や地域の葛藤は、とても重いものでした。 災害死者の「名前」は、私たちに何を残すのか、考えた連載です。 朝刊紙面では、きのう完結しました。 デジタルでは、今週か来週に配信します。 274
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 26/12/2025クリスマスの少し前から家族が入院していて、面会に通いながら、看護師の方々(特にICUの)の視界の広さとマルチタスクぶりと仕事の範囲の広さに驚愕してばかり。 保育士もそうだけど、この仕事ひとつひとつ全部言葉にしたら膨大すぎて。 イブの術後には一人一人にクリスマスカードの差し入れ。 買って、手書きして、振り分けて…忙しい中に本当に頭が下がる。。 ミシェル・ファイファー主演のOh. What. Fun.(邦題:なんて楽しいクリスマス!)を先日見て、クリスマスや年末年始の、多くは女性(祖母)にのしかかってくるケアワークの地獄がやっと正面からエンタメ映画になる時代になったと思った。地続き。 063
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 22/12/2025左は、2011年3月末の銀座4丁目交差点。節電で暗いです。 右は、先週の銀座4丁目交差点。 道行く人が立ち止まり、イルミネーションにスマホを構えてました。 寒い中取材に応じてくださったみなさま、ありがとうございました。 【節電で真っ暗だった銀座と新宿、15年後の今を歩く 進む脱・脱原発】 www.asahi.com/articles/AST... 020
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 13/11/2025行き先は、11年前(震災から3年後)まで駐在していた岩手県大槌町と、隣の山田町。 各地域の以前の取材先をぐるぐる回って、そこから紹介していただいた人を訪ねて、訪ねて…と繰り返しているうちに日が暮れていきました。帰りたくなかった…。 人口の1割が犠牲になった大槌町。 今回取材した町民の方たちも、ほぼ全員が、震災で家族や友人を失っています。 11年前は、話してくださるその内容に対して、伝える技術があまりに発達途中で、ただ体力に任せて訪ねて聞いて書いて直されまくって…という日々でした。 今秋からまた念願の機会を得て、何が書き残せるか、通いながら必死に考えていきたいと思います。本当は住みたい。 051
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 13/11/2025週末から昨日まで、三陸へ出張でした。 着いた日の夜に津波注意報。 夕方までは「クマが出るから不要不急の外出控えてください」としきりに呼びかけていた防災無線から、夜になって急に津波注意報が流れてきました。 警報ではないので避難する人は少なかったですが、何度も続くゆらゆらした揺れはとても嫌な感じで、宿の女将さんは「震災の時のこと思い出しますね」と、しんどそうにしていました。 二度と起きませんように。 130
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 03/11/2025昨日は神保町の古本まつり。今年は関東大震災の絶版本が大漁。 三連休ずっと家を片付けて大量の本と紙(とおもちゃと服)を処分したのに、また手が買ってしまった。 昨日何時間も付き合ってくれた子どもへのお礼に、今日は子どもの行きたい所へ。 帰りに寄った銭湯で、湯船で会った人生の先輩たちと、宝くじ買って当たったらどうしよう買わないと当たらないけどねははは、と笑った最高の晩でした。 120
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 30/10/2025政局により、とっくに発表されてるはずだった首都直下地震の被害想定がのびのびになり(「政治空白だからって、いま起こったら本当にどうするんですか」という後輩記者の憤りはもっともだと思う)、準備中のたくさんの原稿も宙に浮いていますが、取材は完了。 この関連で、今月は大阪に出張。 大阪北部地震に被災した地域で、子育て世帯や保育園長を取材しました。 今日は、平河町の防災専門図書館へ。 充実した専門誌・行政資料と専門の職員の方の知見に、企画のたびに助けられています。ありがとうございます。 052
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 28/10/2025今回のコラムに、清水幾太郎の『流言蜚語』から2文だけ引用しました。 名フレーズだらけのなか、字数制限とのたたかいで、どの一文を引用するか悶絶しました。 震災当時に中学生だった清水幾太郎の原体験にも着目しました。 朝鮮人を殺したと得意げに語る兵隊に会ったという話がよく知られています。 同時に、妹と弟を探して東京じゅうをたくさんの遺体を見て回っていたことに触れ、「あんなに多くの死骸を見てしまった人間には、もう青春はない」とも書いています。 清水幾太郎がこれを書いたのが、関東大震災から14年後。 いま、東日本大震災から14年半後です。 後段と、あの時の子どもたちの姿が重なります。 120
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 23/09/2025今朝は、気になっていた「そのとき、どうする?展 -防災のこれからを見渡す-」@21_21 へ。 防災や災害についての10の「問い」がちりばめられている構成。 意味ある「問い」を立てるのって、難しい。 行政的な模範解答や物質的・企業的な解が透けて見えるのは、問いというより、誘導的な質問。本当にその答えを探していると思えない。 でも、今風にはQの形にしないと体験型にならないのかなあ。 そんななか、「『復興』ってなんだろう?」は、他の人の回答を読みあさりました。 「隔絶された被災地の情報を、鳩が届けてくれる未来」も俄然興味が。 冷凍都市・六本木でこのテーマの展示が開かれていることに眩暈。 120
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 29/08/2025今年も関東大震災の朝鮮人虐殺の原稿を書いています。 通勤中に少しずつ読んできた田山花袋の『東京震災記』を読了。 関東大震災の大火災の後の、東京の光景について描写。 「新聞記事も、多くは記述と説明だけで、描写はしていないから、どういうことはあったということは知れても、本当の光景や感じや気分はわからない」と前書きに。 耳が痛いなと思いながら読み入っていたら、後段の虐殺のくだりと、本人の編集者が残した証言の落差に打ちのめされました。 142
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 26/08/2025先週末からの夏休みは、迷わず岩手へ。 記者としての2カ所目の赴任地で、第2の故郷。 よ市めがけて盛岡へ行ってひたすら街を歩いたあと、大船渡で、かつての取材先も含む、山林火災の跡地を回りました。 陸前高田では、追悼と検証のありかたについて考え込みました。調査と取材は細々続けているので、今年こそ記事にしたいと思います。 011
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 14/08/2025東日本大震災のときも、帰宅困難者が街にあふれかえりました。 仙台では、卒業式やコンサートで大型ホールにいた人も多かった。 この写真は、仙台駅に近い小学校の体育館(地域の指定避難所)に帰宅困難者らが殺到してごった返した震災当日のもの。 当時の校長先生にお話をうかがって記録しました→ www.asahi.com/articles/AST... 大災害が起これば、万博と比較にならないほど想定外な人の流れがあるはず。いくつもの想定と受け入れ先が必要です。 000
田渕 紫織(新聞記者) @shtab.bsky.social · 11/08/2025【大雨】車での避難する時の注意点 冠水路や高架下は通らないで asahi.com/articles/ASQ... 備えられるときは、スマホの充電と車の給油をしておくと安心です→ 010