われわれはとかく発信しすぎようとし、あわよくば己をよく見せすぎようとした。しかし一面の真実として発信の本質とはその《あらわれ》ではなく、その細部をイメージするという行為の方にある。
発信そのものは勿論、その過程が本人の脳髄に《書き込まれた》かのように刻みつけられることによってのみ、その発信は肉をもち、当事者本人の発信たりえるのである。
《あらわれ》ではなく、それがこの世に現出する以前の瞬間によってのみ、イメージは存在していることを忘れてはならない。
無から何かを掬い取り、それが現世との境界をこすった時のにぶい衝撃はあなたの中にしかないが、しかし決して存在しないというわけではない。