Sign in

krishnamurti-bot

@kmbbs.bsky.social
23 followers 0 following 3.7K posts

インドの宗教家、哲学者クリシュナムルティ(1895-1986)の珠玉の言葉をお届けします。1日に4回、時に沈黙、時に暴走。 2009年9月よりtwitterにて運用開始(2023年7月にtwitter api接続不可となり運用停止しました) 2023年1月よりfedibirdにて運用開始 2024年2月よりblueskyにて運用開始 2024年12月Xにて運用再開 書籍等をお求めの節は x.gd/E8UII まで、よろしくお願いします

PostsRepliesMedia
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 51m
すべての事柄を、言葉や理知の上ではなく、ありのままに観察することによって、心身は非常に鋭敏になる。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 6h
個人的に、私生活、内面生活において、私たちは攻撃的で暴力的です。だから外部的にも、他の人々との関係においてもそうなのです。野心的で、貪欲、もの欲しげであるとき、私たちは外的、集合的にも攻撃的、暴力的で、破壊的になるのです。【人生をどう生きますか?セクション2第2章第9節】
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 12h
自己を理解するというのは、一つの結論を得たり、目的地に達したりするようなものではありません。それは関係という鏡―「私」と財産や、物や、人間や、観念との関係を鏡にして、そこに映った「私」の姿を刻々に観察することに他ならないのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 18h
野心的な人間は最も怯えた人間です。なぜなら、彼はあるがままの自分を恐れていて、「もし私が今のままだと、私は何者でもないことになってしまう。だから何者かにならなければならない」と言っているからです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 06/10/2026
重要なのは人生のゴールが何かではありません。自分の混乱を、みじめさ、恐怖を、そして他のすべてを理解することです。私たちは混乱を理解せずに、ただそれを取り除きたいと思うのです。リアルなものはここにあるのであって、彼方にあるのではありません。【人生をどう生きますか?セクション1第7章第3節】
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 05/10/2026
政治家や僧侶、偉人と呼ばれる人々は常に各人の公式に従って行動し、他人をその公式に従って生きるように強制しようとしている。そして思慮のない愚かな人々は常にかれらの言葉や約束、希望によってがんじがらめにされてしまうのである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 05/10/2026
宗教的な生き方についてあれこれ思いめぐらすことでなく、快楽や不幸、あるいは人間を取り囲んでいるあらゆる条件を曇りなく見ることが、何よりも大切なのである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 05/10/2026
選択する人間は混乱しているのです。混乱しているからこそ、選択するのです。もしその人が混乱していなければ、選択する余地はない訳です。混乱している人だけが、なすべき事や、なしてはならない事を選択するのです。明晰で素朴な人間は選択しません。ただあるがままのものがそこにあるだけなのです
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 05/10/2026
支配と競争と戦争の文化を築き上げたのは思考に他ならないというのに、その同じ思考が秩序と平和を希求しているのである。しかしどうあがいても、思考は決して秩序と平和を見出すことはできないであろう。愛が姿を現すためには、思考が沈黙しなければならない。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 04/10/2026
快楽と真摯さを両方一度に求めるから絶望的になるのである。一方で真摯になろうとして、他方では世間的な快楽を求めようとしている。けれども世俗的な快楽は結局のところいかにも卑小なので、さらに加えていわゆる「神」という快楽を求めるようになるのである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 04/10/2026
あなたが何も知らない向こう岸、理知にたけた思考によっては補足できない別の次元から歩き始めてみたまえ。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 04/10/2026
私たちが自分の生活を綿密に調査し、自他の関係を注意深く観察するなら、それらが他人に対して抵抗という壁を築く過程であり、私たちはその壁越しに他のものを見たり観察したりしていることに気づくのです。しかしながら私たちは常にこの壁を大切に守り、その背後に居座っているのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 04/10/2026
正しい関係の欠如が、争い、悲惨、争いを引き起こします。私たちの世界がどんなに小さくても、その狭い世界で関係を変えることができれば、それは常に外に広がる波のようになるでしょう。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 03/10/2026
快楽と真摯さを両方一度に求めるから絶望的になるのである。一方で真摯になろうとして、他方では世間的な快楽を求めようとしている。けれども世俗的な快楽は結局のところいかにも卑小なので、さらに加えていわゆる「神」という快楽を求めるようになるのである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 03/10/2026
「真理」を求める人は、決してそれを発見することはできません。「真理」はあるがままのものにあるのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 03/10/2026
生はたえず動いている。生は、多くの複雑で素早く変化する問題を内包しながら、決して静止することがなく、毎日毎分、新鮮なアプローチを要求している。だから、私たちがこの生に出会うとき、そこには条件付けられ固定化された心と、たえず動いてやまない生との間の絶え間ない葛藤があるのだ。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 03/10/2026
正しい関係の欠如が、争い、悲惨、争いを引き起こします。私たちの世界がどんなに小さくても、その狭い世界で関係を変えることができれば、それは常に外に広がる波のようになるでしょう。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 02/10/2026
もしも新生(リニューアル)があれば、その時私たちは死を恐れません。もしあなたにとっての瞬間から瞬間への新生があれば、死は存在しないのです。しかし、あなたが思考のプロセスの継続を要求するなら、そこには死があり、死への恐怖があるのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 02/10/2026
一つの思想に基づいたり、特定のパターンに盲従する革命は、革命などというものでは全くないのです。私たち個人の中に根本的革命を引き起こすためには、私たちと他のものとの関係の中で、私の思考や感情の動きの全体を理解しなければならないのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 02/10/2026
執着のあるところに愛はなく、依存があるところには恐怖がある。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 02/10/2026
欲望は、思考がイメージを作り上げるときに起こるのです。それが欲望の源なのです。それ以前に欲望はないのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 01/10/2026
注意力とは明澄さであり、あらゆる思考をはさまない澄んだ直覚に他ならない。思考は常に死んだ過去に根ざしているから、決してそのような明澄さをもたらすことはできない。それゆえ思考は無明の闇の中の行為なのである。そしてこのことに気づくことが注意力の働きである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 01/10/2026
われわれはあらゆるものから自分自身を分離させ、しかる後に、その孤立したところからあらゆるものに目や耳を向けるのである。そのような分離こそは、あらゆる葛藤や混乱の温床であり、それゆえきわめて破壊的なのである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 01/10/2026
人生とは関係です。人生とは関係の中における行為です。私が関係を理解しないとき、あるいは関係が混乱しているとき、そのときに私はより豊かな意味を求めるのです。【人生をどう生きますか?セクション1第7章第5節・自我の終焉より】
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 01/10/2026
過去を現在に持ち越したり、過去に照らして現在を解釈していては、現在が持っている生きた美しさをとらえられない。
011
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 30/09/2026
見るためには、信念は不要である。それどころか、見るためには信念を持たないことが肝心である。信念を持つという肯定的状態ではなく、否定の状態にあるときにはじめて、あなたは曇りなく見ることができる。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 30/09/2026
「真理」を求める人は、決してそれを発見することはできません。「真理」はあるがままのものにあるのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 30/09/2026
愚にもつかない信念や区別に取り囲まれた今のような生き方のすべて、事務所や工場で費やされる生活の全くの無意味性を、あなたは正面から見据えなければならない。そのような生活の終わりに死が訪れる。あなたはこのような混乱のすべてを曇りなく見抜かなければならないのである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 30/09/2026
根本的にまちがった社会に、正しい生活などありえません。現在世界中で何が起きていますか?それがどんなものであれ、私たちの生活が私たちを戦争へと、広く行き渡ったみじめさ、破壊へと追いやるのです。これは明白な事実です。何であれ私たちのすることが避けがたく対立を、腐敗を、無思慮と悲しみを生み出すのです。だから現代の社会は根本的にまちがっているのです。それはねたみ、憎悪、権力欲の上に建てられています。ちがいますか?【人生をどう生きますか?セクション3第1章第1節】
010
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 29/09/2026
意見を養い、それを鋭利で堅固なものにしていくことはできる。そして我々のほとんどの行為はこの好悪原理に基づいている。経験と知識は堅固にされ、それは行為に現れる。けれども、そのような行為は人と人とを互いに分かつものとなる。意見や信念こそは、在るがままにものを見ることを妨げるのである
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 29/09/2026
瞑想とは時間を超越することであり、時間とは何かの成就をめざして思考が旅する距離である。
001
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 29/09/2026
注意力とは明澄さであり、あらゆる思考をはさまない澄んだ直覚に他ならない。思考は常に死んだ過去に根ざしているから、決してそのような明澄さをもたらすことはできない。それゆえ思考は無明の闇の中の行為なのである。そしてこのことに気づくことが注意力の働きである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 29/09/2026
人と音が別々でなく、音の一部であるときにはじめて、その美しさが感じられるのである。瞑想とはいかなる意志的行為または願望の働きをも交えることなく、あるいはまだ味わったことのない物事の快楽を求めたりすることなく、そのような分離に終止符を打つことである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 28/09/2026
皆さんは、欲望がどんな混乱を世界に引き起こしてきたか見ようとしません。個人的安定、自分の達成、成功、権勢、地位、威信への願い。自分がすることすべてに全責任があるということを感じていないのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 28/09/2026
政治的、宗教的、経済的に、いかに入念に制度を築こうと、私たちの内なる意識が全面的に秩序だっていないかぎり、その無秩序は、常に外部を圧倒してしまうことでしょう。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 28/09/2026
我々の思考と反応は、我々がその一部であるところの社会が我々に強いた価値観によって、条件づけられているのだ。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 28/09/2026
私たちの困難は、私たちが既知のものを持ちつつ未知のものを望むことです。私たちは既知のものを手放そうと望みません。なぜなら未知のものはあまりに恐ろしく、大きな不安定、不確かさがあるからです。そしてそれが、私たち自身を防護するために、信念で私たち自身を囲って守る理由です。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 27/09/2026
あるがままのもの―つまり空虚さと内面の不十分さ―を理解し、それとともに生き、完全にそれを理解しきったとき、創造的な「真の実在」と創造的理解力が誕生するのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 27/09/2026
社会は「あなた」と「私」との関係が生み出したものなのです。つまり、社会は私たち自身の内部の心的状態を外部に投影したものに他ならないのです。ですから「あなた」と「私」がお互いに理解していなければ、単なる外部―内部の投影されたもの―の変換は全く無意味なのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 27/09/2026
無である人は幸いなるかな!
010
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 27/09/2026
理知はわれわれ人間の問題を何ひとつ解決することはないであろう
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 26/09/2026
皆さんは、絶対に、いかなる理想、概念、信念ももってはならないのです。なぜなら、これらはすべて人間を滅ぼしてきただけで、問題の解決にはならなかったからです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 26/09/2026
いかなるシステムにも必ず腐敗の種が潜んでいる。「どうやって」と問うとき、あなたはシステムを求めており、したがってすでに腐敗を招いているのだ。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 26/09/2026
あなたは自分自身を知れば知るほど、はっきりと物事が見えるようになってきます。自己認識には終わりというものがなく、目的を達することも、結論に達することもないのです。それは果てしのない河のようなものです。それを学び、その中に深く突き進むにつれて、あなたは心の平安を見出してゆきます。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 26/09/2026
本当は、あなたは真理や神を求めているのではないのです。あなたは持続する満足を求めているのであって、その満足を神とか真理というような観念や、体裁の良い言葉で覆っているだけなのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 25/09/2026
権威は、それが信念や伝統の権威であろうと、あるいは道徳と呼ばれている習慣によるものであろうと、どれも邪悪なのである。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 25/09/2026
欲望は、思考がイメージを作り上げるときに起こるのです。それが欲望の源なのです。それ以前に欲望はないのです。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 25/09/2026
思考は常に分離的なものであり、見るものと見られるものの間を時間と空間で分けてしまう。
000
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 25/09/2026
真理や真実を要求するとき、その要求は現在あるものに対する不満から生まれたものであり、従ってその要求は対立物を作り出すのである。
001
krishnamurti-bot @kmbbs.bsky.social · 24/09/2026
私たちはほとんど独立した思考や感情というものを持ちません。思考や感情が起きるとき、それらは単なる反応で、だからそれは既成のパターンから自由なものではないのです。反応…の中には自由などないからです。
000