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ブカマを見に韓国まで行ったよ日記2026
前回から早三年。再びブカマが帰ってきた!ということで韓国へ行ってきた。
ご存知ない方に説明すると、「ブカマ」というのは、韓国のミュージカル「ブラザース・カラマーゾフ」のファンの間の略称であり、タイトル通りドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』を原作としている。
規模としては小劇場作品なのだが、通常登場人物は二、三人のところ、ブカマは全部で五人。その上それぞれの役に二、三人ずつキャスティングされており、組み合わせによってかなりテイストが異なる。
一公演だけ見た前回と異なり、今回は三泊四日のスケジュールの中で4回見た。詳しい観劇記録は別記事(後日投稿予定)に譲るとして、今回は観劇以外の旅行記を書いてみようと思う。
さて韓国。前回は韓国語をほぼ話せずOSTを聞きまくり台本を暗記して臨んだが、今回は韓国語会話教室に通って一年弱、話せる言葉も聞き取れる文もちょっとずつ増えていっているという頃合い。まだまだ弱々だがいい機会だしなるべく韓国語を使おう!
と思っていると早速変換プラグを忘れ、ホテルの人に貸してもらえないか尋ねる羽目になった(貸してもらえた)。スマホを充電し、いざ光化門へ。目当てはここの教保文庫である。
www.kyobobook.co.kr 以前韓日翻訳家の廣岡孝弥さんから面白いですよと聞いていたユン・イヒョンさん「グッド・バイ」が収録されている単行本『ラブレプリカ』を買いに行った。火星開発事業に従事するために体を機械に移し替えた人を描くトランスヒューマンもの。短編小説だし、韓国語の勉強にもちょうど良さそうだし、何より私の好きな話の気配がする!
教保文庫はサイト上で在庫検索ができるのだが、「どこの店舗に何冊あるよ」というのが一覧できる仕様になっている。さらに店舗名下の在庫数をクリックすると店内図が出てきて大体どの辺にあるのかまで教えてくれる。これなら自力で探せそう!
と思ったけど探せなかった。店内の検索機で調べてみたが、大体どの辺りのコーナーなのかは分かるものの、詳しい棚の位置までは分からない。一応ジャンル別タイトル順に並んでいるのだが、それほど広い棚でもないのにどうしても探し出せず店員さんに頼る。しばらく待っていると持ってきてくれたのだが、一体どこにささっていたんだろうか……?
書き込みをしながらすぐ読みたかったのだが筆箱をホテルに忘れて来てしまったので、ついでに韓国グッズでよく見るゆるい恐竜のシャーペンも買ってご飯に行く。
この日の夕食はオニオンチーズスコーンとミルククリームスコーン、アイスアメリカーノ。結構一つずつがでかいのでミルククリームのをつけるかどうか迷ったが、どうしても美味しそうだったので……。生クリームでしか満たせない飢えってありますよね。ミルククリームは口当たり軽く、思ったよりもペロリと食べられた。アメリカーノも豆を二種類から選べる。私は苦味の強いタイプを選んだが、スッキリとした苦味で美味しかった。
1日目の晩ごはん
食べた後一旦ホテルに戻って本を置いて観劇へ。大満足してホテルへ帰る。
二日目は昼公演と夜公演、二つ見る予定。さらにドストエフスキーのオタクのフォロワーさんとも観劇前に会う予定があり、興奮していたのか私にしては珍しくぱっちり目が覚めた。
朝ごはんはホテルから少し歩いたところにあるカフェ。バリッと焼いたバゲットにクリームチーズを何かの罪科の如く詰め込み、焼いたいちじくを乗せたもの+アイスアメリカーノ。韓国のパンは美味しい。そして大抵でかい。一つでお腹いっぱいになってしまうので一つに絞るのは大いに決断力が必要だったが、間違いない組み合わせで大満足だった。
2日目の朝ごはん
ところで渡韓は八月頭。最も暑い時期である。スマホにちょいちょいアラートが届いていたのだが、よく読むと「めっちゃ暑いから気ぃ付けや」という注意喚起であった。確かに暑い。無限に水が飲めるし飲んだ水が全部汗で出ていく。
この「無限に水が飲める」状態。実はこれ、私にとってはかなり貴重かつ健康な状態なのだ。胃腸の弱い人ならわかってくれると思うが、水分摂取が大事なのは分かっていても、しっかり摂取しようとするとお腹を壊してしまう。塩分タブレットなども一緒にとったり、スムージーに置き換えて栄養とカロリーの摂取を図るなどするものの、真夏の水分摂取にはお腹を壊す覚悟と諦めが必要であった。
ところが今は無限に水が飲める。しかもでかいコップになみなみと注がれたアイスアメリカーノを飲んでもお腹の調子が悪くならない。
八月頭の大阪は連日35度を超える酷暑日が続きめちゃくちゃ暑かったが、ソウルも似たり寄ったりでめちゃくちゃ暑かった。蒸し暑さでいえばソウルの方が上であろう。ところが、体感としてはソウルの方が楽だった。汗をかいた分、きちんと熱が出ていっている感じがする。大阪ではいくら汗をかいても熱がこもってしまい、少し歩くだけで——死がちかい——という感じだったのだが、ソウルではそんなこともなく、むしろなんだかちょっと元気になってきた。水分摂取、確かに大事だ。こんなにちゃんと熱が出ていくものなんだな。
しかしなんでだろ? ソウルの方が緯度が高いし、内陸にあるからだろうか。昔から全国一木陰が少ないと言われる大阪と比べて街路樹も大きく育っていて、木陰も豊富だった。「やっぱり都市緑化ってめちゃくちゃ大事だよ〜!!!!」と私の胃腸が言っている。
この旅行の間は積ん読崩しの一環としてだいぶ前に電子書籍で買っていたリチャード・パワーズ『オーバーストーリー』(木原善彦訳)を読んでいたのだが、ちょうど後半に差し掛かって、木というもの、森というもの、あらゆるものを資本の名の下にいいようにしていく人間の様子が描かれており、複雑な気持ちになった。
この日はPlatform-Pの展示「책이라는 물건(本という物)」を見に行った。Platform-Pは新興出版社や小規模出版、クリエリターの支援機関である。『僕の狂ったフェミ彼女』『私の最高の彼氏と、その彼女』で知られるミン・ジヒョンさんの立ち上げた独立出版社Louder Booksのオフィスもここにある。
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ちなみに、後日再び韓国へ行く機会があったのだが、その際に教えてもらったところによると、ある程度大きな建物を建てるなら一定のスペースを公共へ寄付することが法律で規定されているらしく、Platform-Pはソウル(だったと思う)に寄付されたスペースに入ったとのこと。旅行者の解像度の低い感想であるのを承知で言わせてもらえば……うらやましい! 公共への意識が日本と違いすぎる。文化事業を公共財として重視する立場は、おそらく軍事政権時代を経てきたからこそのものであろうし、さらにはそれ以前の日本による植民地支配の時代(日帝強占期)も全く無関係ではあるまいと思うとただうらやましがるのも違うなと思うのだが……。
生活者としての私は、日本で暮らすことが益々しんどくなっていると感じている。現在日本では公共という概念はほぼないか死に瀕しており、今やあらゆるものが資本主義の商品になるべきものとしてカウントされている。資本主義は基本的に私有の論理であって、適用すべきは商売の分野であるはずだ。公共物やインフラ、文化事業などにそれを適用させたって上手くいかないのに、日本の場合、ますます公共財を売っぱらって金を作ろうとするようなところがあってクソ腹たつ。だってそうだろう。「文化的で健康的な最低限度の生活」とはよく言ったもので、生活の基盤が、喜びや悲しみが、健康が、金に変えられる商品あるいはディスカウントされた「お得な存在」になってたまるか。今の日本で暮らすということに、私は自分の人生を売り払ったり幸福を節約したりして何とか居場所を確保しているような苛立ちを覚えている。
資本は儲けるためにある。しかし、国家予算は資本ではない。「儲けるため」のものではなくこの場所を人の生きる場所として整える道具であるし、私たちは「剰余価値=利潤になるものを作り出すための頭数」ではない。人間だ。私のような仕事嫌いの怠け者でさえ、有用性という物語から逃れるのは難しい。しかし、国家はそうであってはいけないのだ。
にもかかわらず、日本では、「有用」というか、金をめちゃくちゃ稼ぐか生きるのに金のかからない「お得」な人間だけが存在していていいですよ、みたいな風潮で色んなものが進んでいっている。
むかついて色々書きすぎた。Platoform-Pに話を戻すと、基本的にはクリエイターの支援が主体の施設なので、大々的に展示やってます!と掲示されることもなく、そもそも入り口がどこか分からなかったくらいで「本当に入っていいのか?」とビビりつつ入ったが、展示はめちゃくちゃ面白かった。その名の通り本の物質的な側面に焦点を当てる展示で、本をその材料から見ていくほか、「書物」という物体を作成するときに投げかけられる問いと現物の本を並べて展示しており、本は自由に手に取って見ることができる。
「本」と聞いてイメージする中心にあるものというよりは、その輪郭を形作るような、様々な本が展示されていた。仕掛けのある本、めちゃくちゃ大型の本、リソグラフ、ウォータープルーフの本、登山用の本は手のひらサイズでコンパスがついていたし、写真集はキャプションをトレーシングペーパーに印刷して透かしている。装丁やモノとしての本が好きなら大満足だろう。今までの展示のポスターもウィットがあって面白い。
展示スペースはパブリックな場所で、Platform-P入居者でなくても利用ができる。企画展示の他、入居者の本が展示されている。さらには作業や食事のできる電源付きの席や人をダメにしそうなクッションの転がっているごろごろだらだらできるスペースもあった。近所に欲しい……。
一旦帰って遅いお昼。この日はグラノーラやフルーツ、巣ごとハチミツを入れたギリシャヨーグルト。お店は古い建物を改築したもののようで、梁には棟上げの日付らしき墨書が見える。
2日目の昼ごはん
昼には少し遅い時間になってしまったし、軽く済ませようと思ってのチョイスだったが、結構たくさん入っていてお腹いっぱいになってしまった。美味しかった。
昼公演を見てからフォロワーのaoiさんと待ち合わせ、お茶しにいく。パン屋さんでバジルとチキンの乗ったパニーニを食べたのだがおしゃべりに夢中で撮り忘れた。素敵なプレゼントまでいただいてしまい、感無量……。ここでも自慢させていただきますね。ドストエフスキーの話がいっぱいできてめちゃくちゃ楽しかった!
> 昨日いただいて一日中噛み締めてた贈り物を見てください、aoiさんが私の小説を絵にしてくださいました……!!!!! スメルジャコフめちゃくちゃかわいい……!! 眼鏡との距離を計りかねているような、必要だったはずなのに今まで自分の手には渡されてこなかったものを眼鏡を通して眺めているような表情がめちゃくちゃよくて嬉しくてニヤニヤしながら眺めています。ありがとうございます……!!
>
> — 正井と水分 (@masainos.bsky.social) 2026-08-06T14:17:04.979Z
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夜公演でえらいことが起こってしまい、動揺しながら帰る。
三日目。緊張しながら起きる。なぜかというと、この日はちょっと足を伸ばして清州まで行く予定だったからである。ここには古印刷博物館があり、ぜひ行ってみたかったのである。
www.cheongju.go.kr 噂のKTXに乗れるのは嬉しいが、そこからさらにバスを乗り継いで1時間ほど行ったところに古印刷博物館はある。このバスが曲者だ。私はバスが苦手なのだ。日本で乗る場合も二回に一回は失敗している。
バスを失敗して行けなくなったりするのはまだいい(よくない)。だがもし帰れなくなったりしたらコトである。この日も観劇予定があり、何がなんでもソウルに帰らねばならぬ。そのためには迷子になっている場合ではない。
バスの乗り方を調べまくり交通カードが使えなかった時のために念のため現金も用意する。絶対何か抜けている気がするという嫌な予感を胸にKTXに乗車。疲れていたのか速攻で寝てしまい、ついたら降りる駅の五松だった。
いよいよバスである。前の人の真似をしつついざ!と気負ってみたものの、交通カードをピッとして乗ってピッとして降りればいいので大丈夫そう。などと油断していると降りる場所を一つ間違えて、バス停一つ分歩く羽目になったが、無事目当てのバスに乗り継ぎできた。今度は間違いなく正しいバス停で降り、目的地前に到着。
清州の風景
よかった……!!! 私はバスという困難を無事潜り抜けることができた。帰りもあるのだがそれは一旦おいておく。この辺りでブラをつけてくるのを忘れて来たことに気づいた。一番どうでもいい忘れ物で良かった〜と安堵しつつ古印刷博物館へ。
清州古印刷博物館正面玄関
古印刷というのは、単に古い印刷物を指すのではない。商業印刷が事業として成立する以前に作成された印刷黎明期における印刷物を指す。日本における初期印刷本としては、五山版と言って禅宗の寺院が中心となって作成されたものが有名である。これらの木版本は主に僧侶あるいは武家などの在俗信徒のためのテキストなどに利用されていたらしい。
ここ清州では、現存世界最古の金属活字による印刷物『白雲和尚抄録仏祖直指心体要節』(通称「直指」)が印刷された。14世紀、1377年の成立である。これは仏書(禅宗本)で、僧侶または寺社が主体となって作成したいわゆる坊刻と呼ばれるものである。現物はフランスに保管されているそうだが、同時期に出版された木版本や、高解像度の複製版製作の過程、金属活字の制作過程などの展示もある。それ以外に、木版・活版問わず印刷黎明期から近代までの書物が展示されていて見応えがあった。この時代の書物は書き込みや朱引きのあるものも多く、そうしたものを見るのも楽しい。書物だけでなく印刷の道具や活字・書体などの展示も充実していてめちゃくちゃ満喫した。
お昼はお隣のユネスコセンターのカフェで買ったパンとアメリカーノ。あまりにお腹が空いていて速攻で食べてしまったので写真はない。ちなみに朝は早めにKTXに乗りたかったのでコンビニでおにぎりを買った。コチュジャンに和えたツナみたいなのがごろごろ入っていて美味しかった。あとなんかすごいデカかった。幅が食パンくらいあった。
再び「バスに乗る」をやり遂げ、KTXでソウルに帰る。なお、当日買えばいいかと思っていたら結構満席で、行きの列車の中で帰りの席を予約した。
この日の晩ご飯は冷麺。北村餃子というところで、どうやら餃子も名物らしい。隣のグループが注文していたが、赤ちゃんの拳を二つ並べたくらいのでかい蒸し餃子がドンドンと二つ乗っていた。めちゃくちゃ美味しそうだったが胃腸に追加を止められた。ちくしょう。
3日目の晩ごはん
冷麺は、いわゆる水冷麺だが辛いソースがかかっており、混ぜていくとだんだんスープが辛くなっていく。さっぱりした味のスープ単体でも美味しかったし、混ぜて辛いスープで食べるのも美味しかった。なんかすごいスープの味が美味しい。何の出汁なんだろう……? 辛味は最初まろやかだがだんだんと効いてくる、あとを引く辛さ。夏にちょうどいい味だった。ちなみにここは現金払いのみで、バスのために用意した現金がここで生きた。
食事の後は観劇。あまりにも興奮しすぎて乗り換えの駅で降り、ホテルまで一駅歩く。胃腸の制止を振り切ってアイスまで買ってしまった(翌朝胃腸に若干怒られた)。
最終日! 最後まで遊び倒すつもりで目覚める。
ホテルをチェックアウトして荷物をロッカーに預けてまずは朝食に出かける。今日は塩パンのお店。ソハ塩田というところで、大きな水車のディスプレイが目を惹く。
ソハ塩田
塩パンは柔らかめ。バターがたっぷり使われていて、コーヒーとよく合う。いちごクリーム入りの方は甘酸っぱいクリームがぎっしり入っており、これも美味しい。
4日目朝ごはん
食事の後はソウルの近現代美術館へ行く。ホテルからも近く、友達にオススメしてもらった施設である。企画展の「이것은 개념미술이(아니)다(これは概念美術ではない)」が面白そうだったのでチケットを買って見に行く。
www.mmca.go.kr
ちなみに韓国ではこうした文化施設はほとんど無料のようだ。今回の旅行で入った施設のうち有料だったのはこの企画展のみで、料金も2000ウォンと日本の一般的な企画展と比べて格安である。
作品だけでなく制作ノートなども展示されていた。あまり時間がなく文章をじっくり読む暇がなかったのだが、作品数も多くかなり見応えがあった。コンセプトの一つが「言葉、論理、行為」で、言葉や概念標示をモチーフの一つにしているものも多かった。パク・イソさんの「八方美人」(日本語と異なり万能の人のような意味らしい)が好きで、いろんな角度から見ていた。高い位置に展示されているので、近づけば近づくほど角度が歪んでいく。意図的なものかどうかは分からないが、全体を見たければ遠くから見るしかないという点も面白かった。
展示室
パク・イソさん「八方美人」
一人旅だし好きなところに行こ〜と思ったら劇場とホテルと博物館を往復するような形になった。
ちなみに韓国語であるが、自分から尋ねたり、簡単な受け答えはできるものの、ラリーが続かない。あと買い物とかでパッと話しかけられると聞き取れなかった。
ブカマの場合、台本があるので何となくちょっと変わってるというのは察することができる。口調の変化などはわかりやすい。アドリブを全て聞き取るのは難しいが、話の流れを踏まえれば内容をある程度押さえることができる。あと舞台俳優を捕まえて言うことではないのだが、めちゃくちゃ聞き取りやすい。吐息が多めだったりメチャクチャになっちゃってたり呂律が怪しかったりする中でセリフを話すのだが、それでも何を言っているのか分かる。役者さんってすごいなあ……。
ゆっくり勉強している韓国語であるが、自分がどのあたりにいるのか確かめられたのは嬉しい。これからも焦らず勉強続けるぞ!
少しだけ木について触れる。
上で触れたリチャード・パワーズ『オーバーストーリー』は、アメリカを舞台に、複数の世代を経て2000年代に到達したルーツも職もさまざまな人々が木と森に関わっていくという群像劇である。年代が今に近づくにつれ、アメリカの原生林はどんどん換金されて行き、木の居場所はなくなっていく。それに対して木に登り、占領などを行なって抵抗する環境活動家の姿も描かれる。
SNSでは揶揄されがちな環境活動であるが、これに対して登場人物の一人、心理学者のアダム・アピチはこんな風に言っている。
> この人たち――合意的現実に対する免疫を持った少数派――は何かの秘密を抱えていて、自分はそれを理解しなければならないと彼は思っている。
> (リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』電子書籍版、63%)
アダムにとっては被験者である「イチョウ」と「見張り人」に対し、アダムはそう思っている。彼らは「免疫」を持っていて、見なくていいと多くの人が思っていることに気づいている。それはなぜかを明らかにするため、アダムは地上60メートルの樹上でシッティングをしている彼ら二人を研究しにいく。
このアダムの研究の出発点には傍観者効果の体験があり、「みんなが完全に勘違いしていることに一部の個人が気付くのには、どんな人格的要素が関わっているのか知りたい」という問いがある。アダムの指導教官はこんなふうに補足する。
> ……他のみんなは忠誠によって集団を安定化させようとしているのに、ということね。
> (リチャード・パワーズ『オーバーストーリー』電子書籍版、46%)
今年の夏は異様に暑く、何度も「1000年に一度」というような豪雨災害が起こった。そしてこれは今年だけの話ではない。去年も、一昨年もそうだ。これは「一部の個人」の問題なのだろうか。
『オーバーストーリー』を読んで感じたのは、環境活動の背後にある、「自分たちとは別個の存在」に対する畏れである。資本は全てを換金することで「ままならぬもの」を「ままなるもの」であるかのように見せかけようとする。しかし、実際、そうではない。森は人間の活動と無関係に形成され、木々は一旦換金されて人間を生活させるために存在しているのではない。無関係。というより、人間は森の形成に対してほとんど何もできないし、していない。それこそが現実だ。アダムのいう「少数派」の人々は、多かれ少なかれ、資本の向こうにあるそうした現実を見ているのだと思う。
もちろん、アダムはフィクションの登場人物であり、彼の発言も指導教官の言葉も「フィクション」ということになるのであるが、実際そういうことだろう。私もそうであるが、職場においてはなるべく「有用」、でなければそれなりに仕事のできるお得な存在であろうと努力をする。そうでなければクビになるし(私は非正規雇用であり仕事ぶりだけでなく人間関係のゴタゴタでも首斬りの対象になりうる)そうなると会社だけでなく社会で存在を占めていくことが難しくなっていく。しかし、すでに存在しているのに、なぜこんな作業が必要なんだろうか。「有用」または「お得」というのは、自分の生み出す剰余価値へのアピールに他ならない。社会において有用、あるいは最低限「お得」な人間でいようとするこの姿勢は、まるで、この社会の雰囲気に対する、そしてこの雰囲気の形成を主導している政治に対する忠誠のようではないか。
環境問題とは人間活動問題である。お金という概念を使って「ままならぬもの」を「ままなるもの」に見せかけていた、その誤魔化しが決壊して、やはりままならぬものなのであるということを突きつけている。
それを何とかできるのは、やはり人間の意志しかない。私たちがどっぷり浸かっていてそれ無しには生活できなくなっている資本というものに対峙する意志が必要なのではないかと思われる。