このブログのタイトルは23年前に書いた「玉手、玉手、玉手」というタイトルをずらしたものです。
読まずに書きました。いま読んだら「私は、芝居を見ている短い間には、そこにシンクロすることが出来なかった。」って書いてあった。今月同じこと書いてる。笑う。
少なくとも、彼女が自分の描いたストーリーを再生し続けたのだろうということを20年前の自分は感じている。
では、この芝居の中にある玉手の本当の部分がどこなのか。
そのときに菊五郎の玉手で『ここだ』と思ったところと、今月のケンケン、菊之助の玉手で、こうかな?と思ったことはすべて違う。分からんなー、玉手。