きみ死ぬ11話まで見て
シーナは戦力よりもケアの方向性で役立とうと行動しているのは、本来は争いよりも平穏な生活をしたいと思っている彼女が、クソな現状の中でも可能な限りの「よりまし」な選択を模索し、行動している結果なのかな。
ミミが人一倍戦力になるか、多少の犠牲が増えてもミミが傷つかないようにしたいか。11話だけに限らずシーナには幾度もどちらの犠牲を選ぶか、のような選択を問われ、それらに苦しんできたが、本来ならば、戦争を生んだ構造や、責任の問題を問われるはず。視聴後にどこか心地悪さが残るのは戦争の首謀者の姿が見えず、シーナの考えが一貫して「理想主義」で「お花畑」であると印象付けられてしまうから?