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ミニレビュー: 97. 『ガールズ&パンツァー 最終章』('17~)
元気で何より。ブロツキーです。第97回です。
ガルパンは友達に誘われて『劇場版』から観たんですが、戦車戦は面白いんだけど、その他のキャラ造形とかはほんと良くない。いかにもオタクの付与する属性というか記号の塊だらけだし、脚本も信じらんないことが沢山ある。マジでメァジでよくないことが沢山ある。
だから正直あんまり人にすすめられないんだけど、それでもまだ面白いが勝つんだよ。いや、でもほんとキモい。戦車道なんてアイデア、キモいの一言で切り捨ててもいい。女子高生を戦車に乗せて疑似戦争(フィクション都合で安全が確保されてるのも卑怯だよ)させるのを、「淑やか」とかそういう言葉で修飾された、婦女子を育てるための伝統武道として位置付けて消費するアニメなんて、キモいの一言で片づけられても文句言えねえよ。
そういう意味じゃ『ウマ娘』とかも同じ目で見てる。ゴルシは面白いけど。オタクが自分に都合の良いように女性を記号として扱ってるなと感じる作品は多々ある。メァジで多々ある。
そして、そんな戦車道っていうアイデアの前提となる制作陣、クリエイターの価値観に対する批判性がガルパンには内包されていない。これについて、ガルパンオタクほど批判すべきだと思うんだよ。ミリオタは、自分が戦争の道具、人を殺す道具にトキメキを感じていることに対して、強く警戒しなくちゃいけないのに、それに女子高生を乗せてエンタメ消費するなんて下品だって自覚は、さすがに心の隅くらいに持っとないといかんでしょ。
最終章では個人的に知波単戦が面白かったけど、その面白さ自体、バカバカしい脚本やキャラ設計のせいではあるんだよ。旧日本軍がモデルで玉砕するために戦車道をしているような知波単は、劇中では「突撃」(玉砕の言い換えだよこんなの)が信条でそれしかないんだけど、『最終章』の前の『劇場版』で主人公の高校と関わることで変わっていくんだよ。
『劇場版』では「転進」という言葉を使いだしたりしてその兆候はあったけど、『最終章』では突撃バカのメンバーをコントロールするために「足踏み突撃」とか「さよなら突撃」とか「ごきげんよう突撃」とか言い出すんですよ。ここまで頭悪いことある? バカか? と思っていたら最終章第2話のラストで「転進ですね!」という部下の声に対して隊長が「勝利のため撤退!」って号令かけて自分たちの呪縛を取り払うんだよね。
冬の大会だから三年生には最後の最後でようやくまともに戦えるようになるんだよ。これまで撃破されるたびに見苦しい修飾語で自分たちの無策を糊塗していたのが、メキメキ成長していく様はスゲーよくって、構造的な問題とかあるんだけど、あの瞬間は凄くよくって、そういう情動に流されてしまった。
知波単戦は2,3話なんだけど、1,2話はBC自由学園。フランスがモデルで、アンドレとオスカルがいる。だから革命が起きて、2人は死ぬ(死なないけど)。
さっきも書いた通りガルパンは実弾を使用しているのに安全性が確保されている御都合主義な世界なんだけど、戦闘中に大破して退場する時、観客目線でもほとんどの場合戦死する。そういう演出が上手い。初めて『劇場版』観た時のクラーラとノンナとKVの退場は、俺にとっては戦死だったので衝撃だった。
たま~に撃破直後に車内の様子とか、最後の通信とかあったりするけど、大抵みんな撃破されると、撃破判定の白旗が揚がる戦車だけが映されて、車内のキャラは声を発さない。だからなんていうか死ぬんだよ。T28重戦車を撃破すためにダージリンも死んだ(実際にはもちろん死んでない)。アニメとしての演出の完成度が高くて、それで他のことに目をつむって我慢して観てる。ファンであることと、批判をすることは両立する。
だから10/9に最終章5話が公開されるので観に行く。隔年公開でも待つのしんどかったのに、今回は3年ぶりの新作ですよ。高齢者のファンが公開まで持たなかったみたいな話をボチボチ目にしたりして、俺もいつか、新作より自分が先かもとか思いながら死んでくのかなって思うことが間々ある。
それでは次回までお元気で。