「戦術的に、1917年には、レーニンは、一度でも権力の座に就けば最大限の綱領を追求していく意図をもって、最小限の綱領を提出した。……1919年までに、レーニン自身が公然と、国家の死滅を、いつか遠い未来のこととして後回しにするようになっていた」
(E. A. Rees, ‘Political Thought from Machiavelli to Stalin’, Palgrave Macmillan, 2004, p. 234)
ロシアの革命家の間ではそもそも「国家偏重(étatisme)」というフランス的な傾向があったとか考えると確かに伝統に沿ってはいます。